ダーティ・オタク・レクイエム


投稿者:恋ヶ窪桃子


オタクに萌えは必要か?おれにはもはやわからない.おまえたちはどうだ?
そもそも萌えとはなんだ?これは過去論壇に上り詰めてきた多くのめんどうなオタクたちにとって,もっとも誠実に,真剣に取り組むべき課題であった.たくさんの議論が交わされ,あやしげな定義や独りよがりな解釈が巷を賑わせた.
だがいまはどうだ?萌えとは,そんな言葉で始まるnoteをだれがRTする?戦闘美少女の精神分析なんて,令和のいま引き合いに出そうものなら犬のアイコンに引用されてボコボコにされるに違いない.
振り返ってみれば,おれたちが萌えに対して抱いていた感傷などそんなもので,インスタントで,共有され,意図が伝わる符丁であればなんでもよかった.そう思わないおまえも,あの日愛を叫ぶためしきりに用いられた「俺の嫁」というフレーズが,本当に今恥ずかしげなく使えるか?おまえにとっての嫁は,本当にいまだシャナなのか?
このように考えると,萌えという感情自体が,じつは相当あやふやでとらえどころのない,幼い感情だったのでは,そんな疑問が首をもたげる.性欲と恋愛感情が未分化で,下半身の高ぶりと上半身の高鳴りを分けることのできない前思春期に,アニメやゲームがつくる他人の世界に乗り込んでしまったがゆえのあやまちだったのではないか?
それでは,やはり萌えという感情は,オタク特有の少ない語彙による誇張表現にすぎないのか?萌えは死んだどころか,生まれてすらいなかったのか?それも少し違う.たしかに萌えは,一般にひろく信じられている感情としての萌えは,存在しないかもしれない.死んだかもしれない,それでも,うっかりで光武のハンガーを大破させる真宮寺さくらや,美人局にあっさりとひっかかり運動会をすっぽかす白瀬にむくれる美沙緒ちゃんに感じたあの胸の高鳴りを,忘れ去ることができるだろうか.真人間に戻ることができるだろうか.自分自身に問いかけたとき,答えはおのずとわかるはずである.
結局のところ,おまえはもう元に戻ることはできない.ほおの輪郭がおかしなヒロインにゆがめられた性的嗜好は変わらないし,オタク・グッズに費やしたバイト代は帰ってこない.どんなに萌えを感じなくなっても,萌えによって誤った道を正すことはもうできない.一瞬の,存在しないはずの萌えが,たしかに一人の人間を破滅させたのだ.
だからこそ,おれたちは,あの一瞬の心豊かなきらめきを,あいまいな春霞のような高鳴りを,だいじに,だいじに,くいつぶさぬよう生きていくしかない.おまえの人生を,おれの人生を,ゆるしてくれるのは自分自身だけなのだ.オタクに萌えが必要なのではない,萌えてしまった人間は,オタクであり続けるしかない.おまえが生きている限り,たしかに萌えはそこにある!さあ!今日もアニメが始まるぞ!

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